無題
あの日から早いような短いようなよくわからないけど、「常につらい」ということに慣れたのでたぶんこれがどん底って感じなんだと思う。
ざっと振り返ると
朝 フリー転向を知って会社の先輩に話してた時に報道が飛び込んできて、混乱の末笑いが止まらなくなって先輩にあやしてもらったけど仕事にならずに早退させてもらった。
電車の中でニュース映像をみた。心臓が凍りつくようにさっと冷えた。
正気じゃいられないと思ってアルコール買い込んで帰宅。
なぜか大きい画面で報道が観たいとテレビに張り込んでたけど飲んで寝て飲んで寝ての繰り返しでひとつもテレビで見れてない。
夜ともだちが会ってくれて、顔をみた途端に初めて泣いた。
わたしは悔しかった。
推しがつねくんということがわたしの自慢だった。
それは今でも変わらない。今も何も変わらずに好き。
でも、このことが起きる前はわたし、会う人みんなにつねくんのこと話してた。こんなにすごい俳優で、こんなにかっこよくてこんなに可愛くてきれいで優しくておもしろくて不器用で真面目で、どんどん活躍の場を広げてもっともっと大きくなるんだよって自慢してた。けど、それができなくなるのが、純粋なままつねくんの話ができなくなるのが一番悔しかった。自分で好きでいることはとても簡単で、わたしの中ではきれいな気持ちなのに一歩口から出た瞬間から他の要素がくっついてくる感じがして怖くなった。
職場の真面目な潔癖めな先輩には「こういうことを起こした時点で無理」と言われたのでもう話題にはしない。
ゴシップ好きな上司には「俳優がこういうことになった時ファンってどんな気持ちなの?」と聞かれた。
彼のファンでいるということはこういうことなんだなと思った。
つねくんの話をして、嫌がられたり面白がられたり憐れまれたりからかわれたりすることがあるかもしれないと思うと堪らなかった。
友達はその夜、「あなたの口からまたたくさんつねくんの話聞きたいよ」と言ってくれた。何も変わらずに純粋な気持ちのままつねくんのことを好きでいて良いよと言ってもらえて、本当に本当に何よりもうれしかった。
この後は夜中に何度も起きたり悪夢ばかりみたり耳鳴りがしたり常時頭の中がグラグラしていてまっすぐ歩けなかったりした。二週間くらい経つと楽しそうにしてる人がみんな憎くて仕方なくていつもイライラしてた。
いまもその気持ちは無くはないけど奥の奥にしまってとりあえず落ち着いてるフリはできるようになった。悪夢は今でもみる。
4月の舞台はチケットすべて無かったことにしてライビュでつねくんがどんな役をやろうとしていたのか見届けに行った。
始まる前に隣の席の人が「来月の舞台も楽しみ」って楽しそうに話していて、わたしには無いキラキラした未来があって羨ましかった。
配役はあまりにおいしいすごく良い役で、申し訳ない観方だけど、代役の方の演技を「つねくんならこう言いそう」「こんな雰囲気になりそう」って頭の中で簡単に変換できてしまった。
代役の方も穏やかでどこか胡散臭げな朗々とした演技ですごく良かったんだと思うけど、つねくんならピンと糸が張ったみたいな有無を言わさないような緊張感があって凄まじい存在感であっただろうなって思う。本当に悔しいよ。
メソメソ泣きながら観てて隣の方本当にごめんなさいでした。
いまも毎日10回以上名前でTwitter検索かけてる。つねくんが何か発信した時に真っ先に気付けるように。
わたし以外に待ってる人もいる。もう終わりって言ってる人もみた。
甘い考えだったけど不起訴が決まったあとすぐに何かコメントが出るかと思った。
でも現状何も発信されないしつねくんがどうしてるのかもどうなるかもわからない。
毎日明日こそはと思ってるけど、…まあ明日はどうですかね。
もうなんでもいいから情報がほしい。(入ってくるのは大抵切ない話ばっかりだけど)(世田谷のムービー撮りなおしたんだね)
結局全部想像だけどいっぱいいっぱい色んなこと、つねくんのこと相手の女性のこと周りの環境のこととかいっぱい考えた。
でも、もののふベストが出て、聴いてると観てると、こんな凄い舞台つくったこんな凄い人が役者辞められるんですかって思うよね。
わたしは役者じゃないのでわからないけど。
あの舞台の上でスクリーンの中で輝いてた姿は嘘じゃないしなくならない。
最後にみたのは1階席から2階席まで大きく手を振って破顔する姿だった。あまりに眩しくて美しくて世界で一番大好きだと強く思った。
くっさい例えだけど、いまは灯台のない夜の海に浮かんでるみたいでただ毎日ふよふよと漂うしかない感じ。
代わりなんていないし、こんなに夢中にさせてくれる人もいないよ。また会いたいよ。