「貢ぎ」って言葉が嫌い
大変お久しぶりです。
2ヶ月以上投稿してませんが毎日グループみてます。
この間には氷帝大楽を見届けて推しの聖誕祭を祝いヘタミュ初日に駆けつけて休日を潰し続けています。
本日は地元で仕事して明日には高速バス乗ってマチソワです。たのしみ。
今回のヘタミュはキャラ解釈でかなり賛否わかれてますけど、わたしも賛4否6くらいです。
またいろいろヘタミュの話も書きたい。
本題はタイトルのとおり、「貢ぎ」という言葉が嫌いです。
そもそも、わたしは舞台を見たり俳優関連のイベントに参加するときは自分のことを「客」だと思っています。
チケット代を払う対価として充実した時間(もしくはその綺麗な姿を間近で見る権利)を提供してもらう必要があるのです。
そこには上下関係というものはなく、あくまで対等な立ち位置という意識です。
だから推しは美しいしわたしはブスだけど接触イベントのときは代金分は優しくして欲しいししてくれるから満足。
もちろん舞台もチケット代分は満足させてもらってるから推してる。
わたしはなんとなく必要にかられる時だけ年に2〜3回プレゼントを送っています。
一度のプレゼントに平均3万円程度です。安月給なのでこのくらいで限界です。
それは誕生日、クリスマス、バレンタイン、 FCイベントの時々ですがわたしは舞台のときは持っていくことはほぼありません。
誕生日にプレゼントを贈るのは一般的な行為だと思うのと、舞台に通う度に細々としたものを贈るのは違和感を感じるからです。
(ていうか安っぽいものほいほいとあげられない。)
(公演中何度もウン万のプレゼントしてるプレゼント厨の方は例外。財力に完敗です。)
そもそもプレゼントってなんのための習慣なのでしょうか?
フェイスパックや入浴剤は自分でも買えるしお肌に合わないものもあるだろうから自分にあった良いものを使って欲しい。
お洋服もしかり。アクセサリーもしかり。家電もしっかり働いたお金で揃えて欲しい。
名前を覚えて欲しい認知目的で贈るのでしょうか?
それとも着用した写真がアップされるのをみて繋がりを感じたいのでしょうか?
「わたしが支えてる」っていう感覚からでしょうか?
中にはプレゼントを贈りすぎてチケットを諦めるっていう人もちらほらいますよね。
そういう人にとって「俳優」ってなんなのでしょうか?
わたしの勝手な感覚として、ものを贈る行動理由が
「これを贈ったら喜んでくれるかな」っていうのは『プレゼント』
「これを贈ったら生活助かるかな」っていうのは『貢ぎ物』です。
俳優の生活を心配してる時点で相容れない…
み‐つ・ぐ【貢ぐ】
[動ガ五(四)]《「見継ぐ」と同語源》
1 金や物を与えて助ける。金品を差し出して生活の面倒をみる。「愛人に―・ぐ」
2 君主や支配者に金品を献上する。「領主に―・ぐ」(出典:デジタル大辞泉)
1、2どちらをとっても「対等」とは言い難い関係っぽいのでわたしのスタンスに「貢ぎ」という言葉がしっくりこないのです。
喧嘩売ってるとか苦言を申してるわけではなく、
「貢ぎ」という言葉を使う人はスタンス違いでモヤる、というだけの話でした。
なんかうまく書けないな…。